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うつ病と適応障害

うつ病の診断名について

 

 私たちは「うつ病」という言葉をどう受け取っているか?

「うつ病」という言葉は、今や社会の中で広く知られるようになりました。
 職場での休職理由としても、医療機関での説明としても、「うつ病です」という診断名が伝えられる場面は日常的にあります。けれど、その言葉が持つ意味を、私たちはどれだけ理解しているでしょうか?

それは、単なる「気分の落ち込み」ではありません。けれど、「脳の病気」と断定できるわけでもありません。


 この診断名は、歴史の中で幾度も形を変えながら、今のような使われ方に至っています。

本稿では、「うつ病」という言葉がどのように生まれ、使われてきたのかを振り返り、その背景にある考え方や現代の課題についても考えてみたいと思います。

 

 【うつ病の現在の定義】

 現在、精神科の診断は国際的に統一された基準に沿って行われます。代表的なものは、WHOの「ICD-10」や、アメリカ精神医学会の「DSM-5」です。


 たとえばICD-10では、うつ病は次のように定義されています:

「憂鬱な気分が続き、楽しい感じがなくなり、疲れやすくて元気がなく、そのことに困っている状態が、二週間連続して続いていること」

 つまり、診断の根拠は「何が原因か」ではなく、「どのような症状が、どのくらい続いているか」に基づいています。これが、現代精神医学における大きな特徴です。

 一方で、「適応障害」という診断も、似たような症状を呈することがあります。

 違いは何でしょうか?
 

 適応障害は、ある出来事(ストレス)をきっかけに起きた抑うつや不安の反応とされており、以下のような特徴があります:

  • ストレスから1か月以内に症状が出現

  • 通常は6か月以内に回復する

  • 誰でも同じ状況に置かれれば似た反応をする可能性がある

 しかし、症状が二週間以上続き、生活に支障をきたすようであれば、「うつ病」に診断名が変わります。
 このように、うつ病と適応障害は、症状とその持続によって名前が変わるものだと理解できます。何故このような診断の仕組みになったのか、うつ病という状態について、どのように治療者や研究者は見てきたのか、それについて説明します。

 

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 うつ病という診断はどのように作られてきたか?

【19世紀の出発点――精神症状と脳の病】

 うつ病という言葉が「医学的な診断名」として使われるようになるまでには、長い歴史があります。

 19世紀、精神症状はまだ神秘的なものであり、原因も治療法もはっきりしていませんでした。
しかし、ある発見がこの状況を変えます。それは、「神経梅毒」――梅毒の病原体が脳に感染し、人格の変化や妄想を引き起こすという事実でした。
この病気の発見により、**精神の異常は「脳の何かに原因がある」**という仮説が広がっていきました。

 この時代に登場したのが、ドイツの精神科医、エミール・クレペリンです。彼は、数千人に及ぶ長期の患者観察をもとに、精神疾患を以下のように大きく2つに分けました:

  • 徐々に悪化し回復が難しい「早発性痴呆(今の統合失調症)」

  • 良くなったり悪くなったりを繰り返す「躁うつ病(現在の双極性障害)」

 

 当時は、現在のように「うつ病」と「双極性障害」を明確に分けてはいませんでした。
気分が高揚する「躁」と、気分が沈む「うつ」が周期的に訪れる一つの病気とされていました。

そして、現在で言う「うつ病」は、うつ病相だけを繰り返す、躁うつ病。単極性うつ病と呼んでもいました。また、こういった精神の病気は、その人の「体質」(クレッペリンは体形との相関を考えていました)に原因があるのだとしていました。

 

 このように、精神症状は「脳の病」として理解され、その人の体質や遺伝的背景に原因があるという考え方が広く受け入れられるようになります。

【古代ギリシャから続くメランコリアという発想】

 この「体質」に注目する考え方が、実は古代にまでさかのぼります。

 古代ギリシャの医師ヒポクラテスは、気分が沈む状態を**「メランコリア(melancholia)」=黒い胆汁が過剰になった体質**によるものだと説明しました。この体液バランス理論は、性格の分類(多血質・胆汁質・粘液質・憂うつ質)にも影響を与え、近代まで長く信じられてきました。

 

 現代の私たちが「うつになりやすい性格」「真面目で頑張りすぎる人がうつになりやすい」と考える感覚も、どこかこの古い発想の延長線上にあるのかもしれません。

 

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